ゆるやかに、されど確かに

地デジ、youtube、放送のありかたが劇的に変化すると言われています。
けれど、劇的なのかなーと、ちょっと疑問。
生活をしている上では、「ゆるやかに、されど確かに」訪れるものなのでしょう。



docomoユーザーなので、beeTVがちょっと気になるところなのですが、
L705ixなので、対象機種外...ちょっとした鎖国を感じますニダ。
まあ、古いからなんでしょうけど。(くやしいです)



話を戻します。
放送/編集の権利が生活者に移ったとして、
おきる変化はそんな劇的なのでしょうか。
たしかに、二次創作や細分化深化したコンテンツはyoutubeやニコ動に移っています。
ですが、それを選択して観るというリテラシーの変化は
そこまで急激にはやってこないのだと、僕は思います。



一から探す人はそれほど居ない。9割5分そうでしょう。
動画ポータルサイトから探す層がおおかただと思います。
youtubeおもしろ動画三昧であるとか、ようつべであるとかも、いわゆるそれです。
まあ...おもしろいのですが、ある個人や固定された組織が
編集したものとして観れば、マス放送局のチープ版でしょう。
いくら“検索”の力が大きくなったとはいえ、
日本人にとってポータルサイトの存在はとても大きなものだと思います。


もしくは、集合知、ですかね。これまでにない切り口の創発
ぼく自身も利用しているのですが、はてブであるとか、Buzzul
先ほどのポータルサイトとは別の潮流として存在します。
どこが別かというと、編集権が個人から不特定の集合/団体
(...どこか人格をもっているから集合者とでも呼びましょうか)、
集合者に移っている点です。




ちょっとまとめるとこんな感じ。


本屋でも、(1);のような色々な本を紹介しているような
ビジネス本が売れているそうです。
著名な人が編集した紹介本がとても売れている。例えば...

10年後あなたの本棚に残るビジネス書100

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今後、あらゆるメディアに“紹介”を行う
ポータルインフォメーションが増えていきます。
きっと。
これまでもありました。もちろん、オリコンランキングを筆頭に。
同時に、“あなた専用放送局”、“いつでもどこでもメディア”も、
今後増えていくことでしょう。
それこそ、ゆるやかに、されど確かに。




しかし、それを自身で編集する力をもつことがなければ、
自分専用のメディアをつくることなど、できません。
たとえ、youtbe等のnewメディアとの接点を持ったとしても。
RSS等の技術を利用するなどもよし、自分専用のメディアをつくる、
そして技術を使う事に溺れるのではなく、取捨選択を行う軸をもつ。
こうした知的作業を行わない限り、いくら自分専用局をもつ権利を得たとしても、
何も、変わる事は無いでしょう。
かわるとすれば、自分の好きなものだけ、半径3mのできごとだけ...の
情報鎖国状態の自分...というのはありえますけど。




好きな物に、好きな時間にアクセスできる権利を得たからこそ、
メディアや情報観閲のリテラシーが問われているのだと感じます。
既に、格差は生まれているでしょう。
自分の軸をもって、情報を整理し行動に移している人と、
なんとなしに舞ってくる情報のコピーを行っている人では、
話すこと、している行動は雲泥の差であることは、半径10m以内の人間関係でも、
実感できるかと思います。




1つ1つの素材から自分なりのフレームワークをもって情報を整理できるか、
整理した上位概念が既存のものと違うものを想像できているか、
そんなことがとても重要になっているのだと感じます。
一日何時間ネットと接しているだとか、ITスキルがどうだとかは、
この重要な事を補佐する知識レベルにすぎません。きっと。




ゆるやかに、されど確かにメディアは変化していきます。
しかしそれ以上に自分自身のリテラシーを変化させなければ、
何も変わらず、潮流から衰退していくことになってしまうでしょう。
そんなの、嫌ですよね。




集合者の一員として、人と共感し、共有することはとても大切、
されど、それ以上に自分自身の軸を持たねば、
メディアが変化したとしても、自分陣の周り半径3mは何も変わらぬままです。
共感のスキルを強くもった日本人であるからこそ、
(カラオケ文化の浸透や、ブランドの伝播をみれば明らかです)
集合者としての意見と、自分自身の主張/軸をわけてもたねば、
自分用の放送局など作り得ないと、僕は思います。



仕事の話だけでなく、音楽、服、そういった趣味にしても通じるものです。
あらゆるアクセスできる情報から自分自身のフレームを作り出してこそ、嗜好ですよね。
集合者の意見と同化して、埋没する...そういったスタンスとはサヨナラして、
「ゆるやかに、されど確かに」自分のスタンスを作っていくべきだと思います。
そのほうが、愉しいですしね。



ふと考えてたことのだだうち。
集合者の知識に食われるなって部分をうまく回収できてないのはご愛嬌ってことで。