a gap-widening society:A CASE IN PARIS

リヨン〜ホーテルースに続いて、次はパリ。
移動中、ストに合うという災難に(3時間delay...)
待ち時間に食べた、Hauteluceのジュリアンお勧めのケバブは絶品でした。
ありがとう。ジュリアン。


その後パリにインして、メトロを乗りついで…
“色々”あって、その夜はそのまま寝ることに。
人生で一番怖い体験しました。
格差社会”、なめちゃいけないです。
僕達の問題は、今ここに確かに迫ってきています。
そのときの詳細を聴きたい方は、会った時にでもお尋ねください。



僕達がイメージするパリは、
CLASSICとMODEの文化が交差する、もしくは融合する街。
これは正しい。事実その通りだと思います。
とても素晴らしい体験が道を帰るたびにやってきました。
それと同時に、すごい“格差”がある社会、街でした。


交通機関も地上と地下では歩く人も違う。
昼と夜で道歩く人も違う。
道一本違えば、歩く人も違う。
シャンゼリゼ通りの中でも、サロンのテラスで飲むペリエをくれとせがむ人もいる。
こうした事柄を背にパリの夜景を望むと、
複雑な感情が込みあがってきます。


まあ、“色々”あったがためにこの様な側面に目が行ったのも事実ですが…


街ゆく人はどこか大切にそうにバッグを抱え、
ピリピリとした空気がハリ、
電車の中で寝る人は誰もいません。
シャンゼリゼにはショーケースを笑顔で眺む人がいて、
そしてその人をどこか曲った視線で見る人がいます。
街でまだ遊びたい女性が、闇を理由に去っていく。
これが、CLASSICとMODEの文化街の“あるべき姿”なのでしょうか。
これが、パリが目指した街なのでしょうか。
そうだとすると、少し、悲しい気持ちになってきます。
社会構造が生み出した不具合に対して、憤りすら感じます。




で、話はちょっと飛んで、今日本にある「各社社会」の問題。
話の焦点は、単に自分の財布に集中している気がします。
しかし、それは単なる一つめの波にすぎません。
次にやってくる波、街並の変化に目を向けなければなりません。
そして、財布以外の力による、ライフスタイルの変化を認めなければなりません。
そこまで見据えて、僕達は今の日本を
変えていかねばならないのだと思います。




落ちるものは落ちればいい。俺は稼ぐ。
そうした姿勢もまた悪くはないのだと思いますが、
セルフィッシュな思想はやがていずれ、
自分のライフスタイルにかえってくるものです。
“各社社会”、ぶっちゃけて今まで人の問題でしたが、
やっと、自分の問題になりました。