in nostalgia

夏がだんだんと終わりに近づいてきています。
「夏!全快!」な広告や町並みから、
秋の受け入れ準備へ。


カフェや、レストランも
秋のメニューに移りはじめて…
でも、不思議なもので、頭の中では
「この夏」「あの夏」のことを思い返していたり。


僕の場合、その媒体は、やっぱり音楽であることは多くて。
■ EGO-WRAPPIN' / a love song


中学生のころ、近くのCD屋でずっとプッシュされていた、
EGO WRAPPIN' / midnight dejavu。
CDが光で擦り切れるくらい聴きました。
そして探して、a love songが収録されている
SWING FOR JOYも光で盤面が焼けてしまうくらい聴きました。
いや、お前またかよって言われるかもしれませんが。


音楽は、
レコードやらCDやらのメディアに情報が焼きこまれて、
僕たちの耳に届きます。
で、思うんです。
僕たちはその音楽(CD・レコード)をさらにメディアとして
記憶を焼きこんでるって。
たぶん、すんごく当たり前の感覚だと思うんですけどね。



そのときの気分だとか情景とかを、音楽に焼きこむ感覚。
別に音だけじゃなくていいです。香りとか味とか。
お袋の味、ってそうですよね。味に故郷の思い出を焼きこんでる。



“nostalgia”



僕のすごい好きな、意心地。
あー、研究で取り扱いたいですね。
こういう居心地を、扱うんですよね。




昨日、大学の先生と話した、旅館から届く手紙の話

心地よく過ごした旅館での休日。
休暇が終わって、戻る日々の生活。
そんな中、とどく、あの旅館からの手紙。
その手紙からは旅館の香りが染み付いていた。


こういうことか。“nostalgia”
ロングスパンで見て、
旅館での体験が、香りに焼き付けられてるんですね。
それが、手紙で蘇ってくる。



“焼き付ける”“蘇る”
抽象度は大分高い概念になるけれど、
うまく、扱えるようがんばります。