自由を手に入れて、失うもの

先程のエントリ:「自由を奪われて、得るもの」の追記。


仕事をしながら、検索。
人と電話をしながら、検索。
街を歩きながら、検索。


そんなことをすることが、自然な日常になりました。
検索エンジンを使う事が、生活の中で当たり前になってきました。


検索エンジンというツールを手に入れて、
僕たちの生活はかなり変容しました。
“知らない時間を過ごす”ってもどかしさから大部分で解放されました。
知識を手に入れることによって、
かなり自由度の高い情報のインプットが可能になりました。


検索ストーリー:愛犬へ 誕生日プレゼント


逆に、“答え”をすぐに欲しがるようになった面は、否めません。
既に世の中に答えがある場合は、もちろん有効。
けれど、世の中にある答え意外を導き出さなければならないとき、
心を混めた“応え”をせねばならないとき、
この「”答え”を欲しがる側面」は凄く邪魔になってきます。


考える事が習慣からぬけて、
答えをだすように情報をさばきにかかるから、
インプットに条件反射としてアウトプットをだしてしまうから。
そうなったら、機械と大差ないですよね。


世の中、ひとつ便利になったら、
何かを失うリスクが生まれます。きっと。
それが何なのか見極めて、動いていかねば、ですね。


上のgoogleのの動画は、凄く好きです。
自分なりの「ストーリー」をもって、情報を探すことを奨励してるから。
「答えがここにあるよ!」だったら...台無し。