測定と改善

今日も休日日曜だというのに、
関係なく、ブリブリ仕事してみてます。
休日を台無しにしてしまった自分への怒りも相まって。



今、大学での研究が終わろうとしているのですが、
そうなるとつきものの、新規性と有用性の確保。
これまで自分が残してきた成果の
何が新しいのかそしてそれの何が有用であるのかを証明するフェーズです。
ともなれば、先行研究となるものを、仮想の敵としてあげることになります。
共通の問題を解きにかかるライバルとして。




サービスの改善の研究をしているのですが、
どうやら、対抗になりそうなのは、測定系の研究。
サービスの質を測る手法、これをいかにこき下ろすか。
いや、違うな。痛いところを針でつくか。
以下は論文のドキュメントにするにはグチャグチャになりそうな、
今思っていること、考えていることです。





■統一的なアプローチへ一言
測定系の研究は統一的な尺度をあげる。
おそらく、何かを保障するための着眼点であったり、
何かを守るための着眼点であったりするには、
とても重要な試みだ。なくてはならない。
だがしかし、他との“違い”を追及しなければならないとき、
その効力は失われる。



たとえば、“競争優位”を得たいとき、
その統一的な尺度は足かせになる。
もちろん、数あまたある尺度からいかに剪定して、
自分達の戦略を構築していくかといったものなら別だ。
だがかなり抽象度の高い段階で尺度がまとめられている時、
そしてそのすべてを捨てることが許されないような尺度の時、
“競争優位”を得ようとしたときに何もできなくなる。



改善を進める時、誰もが守らなければいけないラインはもちろんある。
いや、誰もが守るといいなというラインでもいい。
その一定線で確かに改善が進む。
けれど、違いを出して、自らの魅力を定めて改善していこうとすると、
これまでの尺度は役に立たないどころか、差別化すべき対象になる。



安全性とか、信頼性とかある一定のものを守りにいく改善に、
統一的な尺度はとても重要かも知れないけれど、
違いをだす攻める改善には向かない。
ここをがちっと主張したい。



■測定なしに改善なしは嘘

そんなことはない。
測れば問題は見えてくるかもしれないが、
それはあくまで目標値と現状値の差でしかない。
人に決められた尺度を自分たちの魅力とするなんて、
正直、改善が進む気がしない。
測る前にきっと、問題を認識しているし。
測るまでのチンタラしている時間を過ごしているうちに、
測っている間に現状、損をしているお客様はいるし。
きっと改善をすませることもできる。