cafe musicの公罪

具体的どの曲がどうこう言うつもりはないけど、
“cafe musicの公罪”はなにげに大きい。



音にもこだわって、いい時間つくっていこうよ。
っていうもののはずが、こういう音聴いていたらお洒落だよね、
的な音楽の消費フォーマットを生んでしまった。
こういうのがカフェミュージックです。
な、雰囲気だけの偽物のカバーと、
フォーマットから落としただけの、
中身のないまがい物のハウスミュージック的なナニカを量産した。



そして、そういう音を平気でかける店が、
けっこうな数があることに幻滅もした。
何のために(わざわざ儲からない、儲かるためにベストではない)
カフェをやっているのか。
何がしたくて、客単科をさげてることが分かったうえで、
コーヒーやお茶で過ごす数時間を提案しているのか。
場と空気の提案を放棄して、思考停止に陥っているとしか感じられません。



そしてなにより、「っぽい」ものがあるおかげで、
本当に聴くべき魂や楽曲が
同じ文化として消費されてしまったことはとても悲しいことです。
いい曲たくさんあるのに。